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映画「はじまりへの旅」を見てきたので感想を書く

映画「はじまりへの旅」を見てきた。
なので感想を書く。

hajimari-tabi.jp

 

モチーフの選択やメタファーなどは良かったと感じるが、カバーしきれてない。
75点 / 100点

以下、ネタバレ含む感想。






















 

題材的には家族愛や教育に見えるが、実はこの映画は資本主義と社会主義を扱った映画なのではないかと思う。

民主主義が行き過ぎて問題を抱えた資本主義。
共産主義への過程でたどり着いた誤った社会主義

都会は資本主義の不易な浪費癖や、キリスト教の価値観、固定観念や押し付けにあふれている。
一家の母であるレスリーは、そういったものに精神を病んでしまった存在として描かれている。

レスリーの治療になると思い、一家は都会から離れて暮らし始める。
そこでは家族の価値観で暮らし、父でベンが正しいと感じ、本質的に必要だと感じたことだけが子どもたちに教えられる。
そういった中で子どもたちの思想が、マルクス毛沢東の主義に傾倒していっている様が会話で表されている。

療養の為に山に来たが、すでにかなり精神を壊していたレスリーは、山での暮らしの中でも悩み始める。
そして次第に笑わなくなり、都会に帰りたいと言い、しばしばベンと口論になる。
(という旨が息子の発言から判明する。ただし、山での生活への具体的な不満は語られない)

ベンは結局、レスリーに都会で治療を受けさせることを決める。
レスリーは都会へ戻るが、しかし、結局自殺で命を落とす。

ベンは都会的な価値観は誤っていると改めて信じる。
子どもたちが生きていくには、自分の正しい教育のみが必要なのだと確信する。

しかし、実際に町に行くと、子どもたちは社会不適合者になってしまっている。
たしかに子どもたちは賢くてたくましい。
しかし、彼らは圧倒的にマイノリティである。
また、彼らの生活は完全に自給自足できているわけでもない為、何かの形で資本主義とか関わっていかなければならない。
マジョリティと接していくすべも必要であるにも関わらず、彼らはそれを身につけられていない。
異性との接し方もわからない。

また、ベンによる独裁状態はしばしば過激になり、子供を危険に晒す。
外界から隔絶されることで、自由を制限され過ぎている部分もある。

これらの資本主義、社会主義の良い面と悪い面の曖昧さ、両面性を、常に情緒が不安定な精神病に例えて描いている。
ある時は良いと言い、ある時は悪いと言う。本当はどちらなのかわからない。
しかし、どちらかだけで良いということは無いのだということを、都会と山を行き来したレスリーというキャラクタを通して描いている。

ベンは最終的に、そのレスリーの両義性に気づき、過度な自分の教育をやめる決意をする。
絶対的マジョリティである資本主義に順応させることこそ、子どもたちを安全に育てる方法だと判断する。

しかし、子どもたちは父といることを選ぶ。
この判断は、題材が家族であり、相手が父であり、育ってきた環境が父の独裁環境だったという点でバイアスをかけられた結果である。
いずれ独立をする中立的立ち位置として、公平に選択した結果ではない。
唯一、長男だけは自身の判断で家族を離れ、道の資本主義の世界へ旅立つ決意をする。
しかし、彼だって充分に外界を知らないのだから、資本主義と独裁主義のどちらがいいのかは判断できていない。
つまり、映画としては、中立な立場の人物が結論を出すことができないような構造になっている。

結果、映画としては妥当なラインで着地する。
つまり、資本主義や外界との接続は保ったまま、しかし、可能な限り今までどおり「父が本質的に重要だと感じたもの」の価値観をベースに生活する。
これ以外、現実問題、落とし所がないので問題無いと思う。

モチーフの選択やメタファーなど、概ね良く出来た映画だが、唯一、「性」については非常に固定的な価値観で描かれていたのが残念だった。
キリスト教的な観念の強制やマジョリティの同調圧力への反感を題材にするなら、同性愛には踏み込むべきだった。
本質について教育を受けている兄妹の中にLGBTがいて、それが社会との摩擦でどう感じるのかは描くべきだと思う。

また、同様の指摘箇所は、映画内でのキャラクタの役割配分においても存在していると感じる。
兄妹の中で妹たちの役割が非常に希薄だったように思った。
常に悩み、決断しているのが男性兄弟であり、姉妹たちはただ父を慕い、大怪我をしてもまったく父を責めたりはしない。

扱うテーマに対して、監督か脚本家か、作成する側が非常に古い観点的な性のイメージを持っているのではないかと感じた。
結果、とても良い映画だが、いま一歩感が残った。